デザイン、と聞くと、連想して思い浮かぶのが、デザイナーだと思います。
時には、デザインそのものよりも、デザイナー自身に注目が集まったりします。
しかし、私は、どちらかというと、デザイナー自身よりも、デザインという成果物に注目して欲しいのです。
また、私は、あまり個別のデザイナーの方については、語ってきませんでした。
それも、個人としてのデザイナーよりも、デザインそのものを、もっと見て欲しいと思ったからです。
今回は、その点について、もう少し、お話ししたいと思います。
ただ、誤解されるといけないので、最初に、きちんと書いておきますが、私は何も、デザイナーそのものを、否定するわけではありません。
私も、個人的に、好きなデザイナーの方もいますし、あこがれるデザイナーの方もいます。
やはり、デザインの魅力を追い求めていくと、どうしても、それを考え、作り出した、個人としてのデザイナーに、目がいってしまいます。
ただ、そうは言っても、デザイン=デザイナーという単純な図式で考えるのは、どうだろう、ということです。
そもそも、私がデザインに興味を持ち、学び始めた1980年代から1990年代、そして、2000年代は、今よりもっと、デザイナーに注目が集まっていました。
それこそ、その人が生み出したデザインそのものよりも、デザイナーの方が有名、ということもありました。
……いや、それが悪いと言っているわけではなく、あまりにも、行き過ぎると、どうなんだろう、という話です……
それを見ていて、私が思ったのは、果たして本当に、デザイナー個人の才能や感性だけで、デザインが生み出されるものだろうか、ということです。
いわゆるカリスマがないと、デザインを生み出すことができないのだろうか、ということです。
それと、もう一つ感じたことは、デザインはあくまで、物としてのデザインであって、生み出した人は、本当に、それほど重要だろうか、ということです。
デザインが素晴らしければ、それを作ったのが10代の駆け出しデザイナーであろうと、ベテランの一流デザイナーであろうと、お客さん、つまりは使い手にとっては、関係ないんじゃないか、ということです。
まあ、これらの考えは、私自身が才能がないため、若干、すねた意見というか、嫉妬もあったのかもしれません。
しかし、そういう視点でデザインを学び始めたので、デザイナー固有の考え方や感性といったことよりも、普遍的な理論や技術、といったことに、関心を持つようになりました。
つまり、多くのデザイナーが使えるような、テクニックや思考方法を学んでいったのです。
これは、どちらかというと、個人の頭の中で完成するデザイン、といったものよりも、チームというか、集団や組織でデザインをしていく際の考え方かもしれません。
いわゆる、デザインの制作プロセスの「見える化」といったところでしょうか。
また、私がデザインを学ぶ際に、アーティスティックな芸術面よりも、インテリアやプロダクト、または建築などといった、工学系のアプローチ方法をとったせいかもしれません。
そのため、時々、デザイナーというよりも、エンジニアに近い思考方法かな、と感じることがあります。
ただ、デザインをもっとよく知ろう、極めようと思ったら、少し前に書いたように、デザイナーについて研究する必要があります。
ただ、その前に、もっとデザインの基礎的なことや、一般的なことを学んだ方がいいのでは、ということです。
そういった知識が少しでも多い方が、デザイナーのすごさがよくわかり、その魅力を十分に感じることができるのではないか、と思うのです。
あまりにも早い段階で、特定のデザイナーにだけのめりこむと、その枠内だけでしか、物を見ることができず、また、思考も限られてくるのでは、と心配するのです。
デザインの基礎を学び、そこから好きなデザイナーを研究するのもいいですし、普遍的で汎用性のあるデザイン論を学ぶのもいいでしょう。
ようは、あまり早い段階で、世界を限定しすぎない方がいい、ということです。
これは、前にも書いた記憶がありますが、デザインの世界は、思った以上に広いですから。
とても、一人や二人のデザイナーだけで、満たされるものではありませんよ。
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